愛知縣護國神社 一頁

愛知縣護國神社の歴史は、明治元年(1868年)に遡ります。
尾張藩主であった徳川慶勝公が、戊辰戦争で命を落とした藩士ら25柱の御霊を川名山(現在の名古屋市昭和区)に祀り、翌年「旌忠社」として祠を建てたのが始まりです。
その後、大正七年(1918年)に城北練兵場(現在の名城公園北園内)へ遷座。
昭和十年(1935年)に現在地に遷座され、昭和十四年(1939年)に現在の「愛知縣護國神社」へと改称されました。
戦後から昭和三十年(1955年)までの間、「愛知神社」に改称されており、当時の社号標が境内北東の「昭和の森」に設置されています。
第二次世界大戦時の空襲による社殿の焼失といった苦難を乗り越え、平成十年(1998年)にすべての戦災復興事業が完了し、現在の威風堂々とした姿になりました。
御祭神
護國の神霊(愛知県ゆかりの御英霊九万三千余柱)
社号標と鳥居

東向きにある大きくて重厚感のある鳥居。
鳥居の左側にはご由緒書きが設置されていました。
こちらの神社は桜と紫陽花の名所なのだそう。
時期的に少し遅かったのですが、まだたくさんの紫陽花が咲いていて、境内に入る前から見目麗しい紫陽花に心癒されます。
御由緒書


愛知縣護國神社
一、御祭神 幕末以來の戦歿英霊一、御鎮座 明治二年五月二日
一、由緒
尾張藩主徳川慶勝候が戊辰の役に戦死した藩士達の霊を現在の昭和區川名山町に祀り旌忠社と號く
明治八年國家の齋祀となり招魂社更に同三十四年官祭招魂社と改稱す
大正七年城北練兵場(現在の名城公園)に移り、更に昭和十年當地に遷座、同十四年勅令に依り現在の社名に改稱す
昭和二十年3月十九日御社殿戦災により炎上せるも、縣民の浄財を結集して復興、同三十三年十一月6日遷座祭を齋行、同三十七年十月二十六日
天皇皇后両陛下の御親拜を忝うす
平成十年三月御社殿増築竣工により戰災復興完了とす
境内案内図

鳥居をくぐって右手に境内の案内板が設置されています。
社殿の大きさや、いしぶみ(石碑)の多さに驚かされます。
手水舎

鳥居をくぐって左手に手水舎。

献水像

手水舎の奥には、太平洋戦争中にマリアナ諸島などで、渇きに苦しみ戦病死した多くの戦没者(英霊)を慰霊するための像が建立されています。
参道

右に90度曲がると社殿が見えてきます。
太玉柱

社殿の前に立つ大きな柱が、厳かで不思議な空間を作り出しています。

太玉柱 終戦五十周年を機に、祖国・同胞・家族を護るため、身命を捧げられた愛知縣護國神社の御祭神九万参千余柱の神霊に感謝の誠を杉の真柱(地上九・三メートル)に託し、これを太玉串として捧げ、御英霊の遺訓を体し、今日まで祖国日本繁栄のため、盡瘁された先人をも顕彰し恒久の和平と安泰を祈念して建立。愛知縣護國神社
狛犬


社殿の前には狛犬が設置されています。
左側の狛犬にはツノがあります。
どちらも威風堂々とした佇まい。
社殿

手前に見えるのは「神門」です。

神紋に掛かる扁額。

神紋の奥に見えるのは「舞殿」です。
そのさらに奥に「拝殿」「本殿」「霊殿」と続いているそうです。
御祭神は護國の神霊(愛知県ゆかりの御英霊九万三千余柱)。
「平和や繁栄」を守る神様であることから、厄難、家難、災禍から、日々の暮らしの平穏を守るご利益があるとされています。
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