血洗神社
安岐神御由緒と旧跡血洗池、腰掛岩の傳承
血洗池跡 案内板より
神代の昔或る御神(伊装册命)御子(天照大神)を産み給ひその御胞衣(胎児を包んでいる膜と胎盤)を洗いしに池の水赤くにぞなりけり。血洗の池と呼名され胞衣(えな)は恵那獄に納む胞山の名これより起こる。我国に漢字移入以前の神代文字ホツマ(秀眞伝:ホツマツタエ)の記録に判然として残る。又日本名勝地誌、新撰美濃誌にも明らかなり。産終りて母神、岩に腰掛け、御心地爽にして、安らかにぞなり給い、今よりこの処を安気野の里と名付けよと宣り給う。和名鈔に恵那六郷の内安岐郷は此の地に起因す。後安気から安岐となり明治以降阿木となる。住時は深さ五米広さ一ヘクタールの大池にして、その周囲は古木うっそうと茂り幽邃の霊池たりしが、宝永年間の大雨など度重なる水禍により土砂混入し、昭和初期には一坪足らず小池となり何時しか埋没してその姿無し、池の近くに安産を深謝して安気明神を祀る。美濃国神明帳に恵那郡七社の内従四位上安気明神とあるは血洗神社是なり。今天照大神、大山祇神を併せ祀る。安産、育児、山林守護の神として霊験あらたかなること普く世人の尊崇する由縁なり。壬申の乱(六七二)の折大海人皇子(天武天皇)は伊勢の大廟を排し、美濃路に入りて当社を遥拝して戦勝を祈願し給ふと伝う。今度改修されたる国道三六三号線は古くより東山道と三河路を結ぶ重要道路にして俗に中馬街道とも呼ばれ明治中頃までは人馬かろうじて通る山路であり亦式内恵那神社(権現様)詣での参道でもあった。国道改修により社地の一部が道路敷地となりその代償を以て血洗神社本殿を奥深く遷座し奉り、履舎を造営、腰掛岩の移築、血洗池の復原を實行し天皇在位六十年記念事業として之を建つ
昭和六十一年五月三日 血洗神社氏子一同
血洗池、血洗神社・・・。
随分とおどろおどろしい名前です。
初めてこの神社の名前を聞いた時は近くに処刑場でもあったのかと(汗)
ところが実際はそのような恐ろしい場所ではありません。
岐阜県中津川市には天照大神がこの地で御生誕されたという伝説が残ります。
伊耶那美命が天照大神をお産みになり、胞衣(えな:胎児を包んでいる膜と胎盤)を洗ったのが血洗池、その近くに安産を深謝して祀ったのが血洗神社です。
現在は血洗池は埋没し、血洗神社も少し離れた場所に遷座されましたが、跡地が残されています。
御祭神
主祭神
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
摂末社祭神
大山祇命(おおやまずみのみこと)
鳥居
壮大な伝説の残る小さな神社です。
手水舎、狛犬はありません。
参道階段
階段はちょっとガタガタ。
気をつけて上らないと足を挫きそうです。
拝殿
階段を上りきるとすぐ目の前に拝殿。
本殿
拝殿の奥に本殿が鎮座しています。
心を込めて参拝・・・。
そして徒歩で血洗池跡に向かいます。
血洗池跡
血洗神社から南へ徒歩5分ほどで到着しました。
最初に目に入るのは御由緒の書かれた案内板です。
拡大した写真と起こした文字は当記事の序盤に。
全景はこんな感じです。
右手に『旧跡血洗之池』と刻まれた石標が立っています。
奥は湿地のような感じでしたが、やはり池の面影はありません。
苔むした石の上になにやら石碑らしきものが見て取れます。
ズームしてみると『血洗神社』と刻まれた石標でした。
もともとはこの辺りにお社が鎮座していたのでしょうか。
こちらにも丁寧に心を込めてお参りさせていただきます。
場所
〒508-0002
岐阜県中津川市阿木6872−1
血洗神社