五宮神社(長野県木曽郡南木曽町)

五宮神社(長野県木曽郡南木曽町)

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五宮神社

明治四十一年(西暦1908年)に、近隣の五つの宮(南宮社、大平社、八幡社、熊野白山社、神明社)が合祀されて、五宮神社(いつみやじんじゃ)となりました。

社号標

境内の入り口です。
鳥居がなく社号標が立っています。
正面奥は遊具の置かれた公園になっています。

花馬まつりについて

長野県無形民俗文化財

田立の花馬祭り

 花馬祭りは田立五宮神社例祭の別称で、毎年十月の第一日曜日に諸願(豊作・安産・家内安全など)の成就を感謝して花馬を奉納するものです。五宮神社は、明治四十一年(一九〇八)に南宮社(元組)、大平社(向粟畑)、八幡社(粟畑)、熊野白山社(大野正兼)、神明社(塚野)の五つの宮が南宮の地に合祀されて成立しました。
 花馬は、湯立ての神明社を除く四社で行われており、その始まりは津羽沢小幡家文書に「享保二年トリ(酉)年此年南宮産神花馬始テ執行」とあることから、西暦一七一七年であることがわかります。また、葦野屋林家の記録によれば、宝暦十二年(一七六二)は大旱魃で、旧暦の四月二十六日から五月二十日まで村中で種々の雨乞いの行事を行いましたが、そのうち五月十七日には村内から十二頭の花馬が集まり、村内を練り廻ったと記されています。
 五宮神社となってからは花馬は三頭と決められ、三頭はそれぞれの荷鞍に、先頭馬は神が宿る神籬を、中馬は豊作を現わす菊を、後馬は南宮社々紋の日月の幟を立て、そのまわりには五色の和紙によって稲穂をかたどった花を三百六十五本ほど差まわします。これが花馬と言われる所以です。なお日月の社紋は、南北朝のころ田立を通った後醍醐天皇の皇子である宗良親王が、その紋を下さったものと伝えられています。
 花馬の行列は、五宮神社の幟を先頭に各区の代表がたずさえる五色の幟が続き、その後ろに若者たちによる笛、太鼓の囃方が、最後に三頭の花馬が進みます。五色(青・黄・赤・白・黒)の幟は、それぞれ明るい空、豊かに稔った五穀、太陽、澄んだ水、肥沃な耕地を示していると言われます。
 花馬の行列は田立駅前から出発し、ゆっくりと神社に向かって進みます。境内には大勢の人々が待っており、皆が見守る中を神主・氏子総代・舞子の先導で廻りはじめます。行列が境内を三回廻り終わると、待ち構えていた人々は一斉に馬に跳びついて花の争奪がはじまります。花馬の花を家の入口に挿すと家内に疫病神が入らない、田畦に挿すと虫よけのお守りになると伝えられています。特に神籬を取ったものには最大の幸福があると言われています。
 田立の花馬祭りは、昭和四十九年七月十二日に南木曽町無形文化財に、平成五年二月二十八日には長野県無形民俗文化財に指定されました。

氏子会館・社務所

境内の東側に氏子会館、社務所があります。

社殿

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手水舎

石垣を一段登った左手に手水舎があります。
手水は張られていませんでした。

鳥居

狛犬

拝殿

西側の社

拝殿の左手に鎮座する御社。

東側の社

拝殿の右手に鎮座する御社。

場所

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神社仏閣巡りをこよなく愛する写真家です。
夢は全国全ての神社仏閣を巡って写真に収めること。

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