赤門明王殿(興國山 大光院) 『赤門通』の名称の由来となった寺院

赤門明王殿(興國山 大光院) 『赤門通』の名称の由来となった寺院

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赤門明王殿(興國山 大光院)

赤門明王殿(興國山 大光院) 案内板

大光院

 興國山と号し、曹洞宗の寺院である。もと清善寺(せいぜんじ)と号し、松平忠吉(清須城主、徳川家康の第四男)が崇敬していた明嶺理察(みょうれいりさつ)和尚を開山とし、清須に創建した。忠吉亡き後その法名をとり大光院と改め、慶長十五年(一六一〇)の清須越でこの地に移された。
 境内の明王殿に祀る烏瑟沙摩明王は、世の中の一切のけがれや悪を清め、霊験あらたかであるといわれる。尾張名所図会に「毎月二十八日を縁日として参詣の諸人羣集(群衆)をなす」とあり、そのにぎわいは今も続いている。

  名古屋市教育委員会

興國山 大光院(こうこくさん だいこういん)は愛知県名古屋市、大須商店街の北部を東西に走る『赤門通』に面した寺院です。
『赤門通』は昭和九年(1934年)に開通し、大光院の朱塗りの山門が由来となり名付けられました。
残念ながら昭和二十年(1945年)の名古屋大空襲で焼失。
昭和三十二年(1957年)に本堂、昭和四十一年(1966年)に山門が再建されました。

大名古屋八十八ヶ所霊場 第五番札所

山門

赤門明王殿(興國山 大光院) 山門

昭和四十一年(1966年)に再建された山門も朱に塗られています。
奥に見える明王殿とも合わさって、華やかで良い雰囲気。

境内

赤門明王殿(興國山 大光院) 境内

本堂は正面、明王殿の左隣。
境内右手に手水舎、地蔵菩薩、石碑などが並んでいます。
境内は石畳で広く歩きやすいです。

明王殿

赤門明王殿(興國山 大光院) 明王殿

山門の真正面に見えるのが烏瑟沙摩明王をお祀りする明王殿です。
なだらかな勾配のスロープもあり、バリアフリーになっています。

御朱印

赤門明王殿(興國山 大光院) 御朱印

御朱印 一体:300円

場所

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神社仏閣巡りをこよなく愛する写真家です。
夢は全国全ての神社仏閣を巡って写真に収めること。

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