鶴ヶ城跡

鶴ヶ城(つるがじょう)は美濃源氏の嫡流で土岐氏の祖、土岐光衡(とき みつひら)公が築いたと伝えられています。
別名「こうのじょう(神篦城、高野城、国府之城)」、「土岐城(ときじょう)」とも呼ばれています。
戦国時代、この城の周辺は織田軍と武田軍が衝突する地域でした。
天正二年(西暦1574年)に武田軍が明知城(岐阜県恵那市)を襲撃した際には、織田軍はこの鶴ヶ城と小里城(岐阜県瑞浪市)を固めて対抗しました。
慶長五年(西暦1600年)の関ケ原の戦いののち、廃城になったと考えられています。
駐車場


鶴ヶ城跡の南にある秋葉組集会所が、登城者用駐車場として無料開放されています。
集会所の左手、中央道の手前になにやらお堂がありました。
こちらのお堂は別記事にてご紹介します。

参拝を終えて鶴ヶ城跡へ向います。
中央道の下をくぐり抜けて、突き当りを右に。
まもなく左手に登城口が見えてきます。
登城口


登城口を一段上ったところに、カウンターが置かれていました。
『来場者された方はカウンターを押して下さい』との瑞浪市商工課からの貼紙がありました。
私は【3570】番目の来場者。
あちらこちらに大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公、明智光秀公ゆかりの地をアピールする幟が立っていました。
登城道


この登城道を登ります。
ところどころ段差の大きいところや、木の根が出ているなど、歩きづらい場所があるので注意。
歩きやすい靴、出来ればスニーカーよりもハイキングシューズやトレッキングシューズをおすすめします。
それから、虫対策はしっかりと。
適当に手を振っても当たるくらい、蚊がわんさかいました・・・。
二ノ木戸跡

西出丸跡


西出丸跡の案内板から左右に道が別れています。
右に行くと本丸跡へ。
左手に行くと中腹からの眺望を眺めることが出来ます。
まずは眺望を見に左へ進みます。
中腹からの眺望


北東から南にかけて、意外と広い範囲が開けていて、なかなかの眺望を楽しむことが出来ます。
ただ空が急速に曇ってきました。
駐車場にいた段階ではまだ晴れていたのですが・・・。
葵の井戸

なにやら曰く付きの井戸・・・


東出丸跡

東出丸跡、ここまで登れば本丸跡はもう間近です。
本丸跡

本丸跡まで登りきりました。
道中を振り返ると、来る前に思っていたよりも山に登ったって感じ。
周りを見渡すと、案内板とお社が二社。
周囲のほとんどは木で囲まれていて、開けているのは東側の一部です。





東から北東にかけての景色が広がっています。
抜けるような青空ではありませんが、雲が織りなす模様も美しいものです。
最後に、鶴ヶ城跡にはトイレや飲み物の自動販売機などはありません。
しっかりと準備をして、気をつけて登城してくださいね。

場所
〒509-6101
岐阜県瑞浪市土岐町2659-3
鶴ヶ城跡