武並神社(岐阜県恵那市大井町) 一頁
御由緒略誌
武並神社の創建は、千年以上も昔よりこの地に祀られたと伝えられています。
旧記によれば承久二年(一二二〇年)この国の守護職新田四郎左衛門尉源義清(茄子川城主)の子淡路守義綱が鎌倉での勤務を終えて帰る時先君の鎌倉三将軍の廊堂の周辺のある杉苗三株を受領持ち帰り社の東、北、西に植えた(これが世に言う鎌倉杉である)。
新田氏は、時の執権北条泰時公に十二郷の公税を免除を訴え泰時公の決断で納税を免除これにより郷社として社殿は立派に修復された。
その後、数百年間時勢の変遷につれて栄枯盛衰社殿も興廃があり、永禄七年(一五六四)現在の様式社殿が造営された。寛文十二年(一六七二)庄屋井口伊兵衛の献身的奔走の念とによって大掛かりな社殿修復がなされ朱塗りされたのもこの時で現在に至って居ります。
(平成元年国重要文化財指定)
武並神社は、鎌倉時代初期から戦国時代末期まで、恵那郡を領地とした遠山氏が氏神とした神社です。
武並神社は恵那市内に他に七社あり、『武並七社』と呼ばれているそうです。
また、こちら大井町の武並神社の支社五社を合わせて『武並十二社』と呼ばれることもあるようです。
本殿は国の重要文化財に指定されています。
岐阜県独自の社格制度の中で最も社格が高い『金幣社』に列しており格式の高い神社です。
御祭神
主祭神
- 大己貴命(おおなむちのみこと)
- 誉田別命(ほむたわけのみこと)
- 少彦名命(すくなひこなのみこと)
摂末社
- 多度神社(天津彦根命)
- 神明神社(天照皇大神・豊受姫大神)
- 秋葉神社(火之迦具土神)・洲原神社(伊邪那岐命・伊耶那美命)・市杵島神社(市杵島姫命)
- 七宮神社(伊勢大神・津島大神・鹿島大神・熱田大神・多賀大神・南宮大神・香取大神)
- 五郷稲荷神社(宇迦之御魂神)
駐車場
武並神社、境内の西側に駐車場があります。
駐車場に隣接している西鳥居。
駐車場に車を停めて直接参拝に行くこともできますが、今回もいつものごとく正面まで戻ります。
正面(南)入口
てくてく歩いて正面まで戻ってきました。
一見、幅が狭くて奥(南北)に長い参道です。
両脇の石灯籠が風情があって良いですね。
社務所
石灯籠を越えると左手に社務所があります。
御朱印はなく普段は無人のようです。
参道(五郷稲荷神社前)
社務所をすぎると右手に摂末社の五郷稲荷神社が見えてきます。
武並神社拝殿の斜め向かいにも入口がありますので、後ほど伺うことにします。
左手を見ると駐車場へ伸びる参道と手水舎。
駐車場の西鳥居をくぐると、ここで合流します。
手水舎
参道、左手の手水舎。
新型コロナウイルス感染予防のため水が張られておらず、替わりに消毒液が置かれていました。
有り難く使わせて頂きます。
参道(手水舎前)
階段の上の両脇に狛犬が置かれています。
その先には拝殿。
※二頁へ続きます。