市神神社
市神神社由緒
市神神社の創建は、寛文十二年(一六七二年)長国寺住持覚禅和尚が撰した「武並社縁起」の中に記事が見られる。
室町時代中期、大井町字市場田に霊石を安置し八大龍王を祀った。当時市場田の地域は良質の煙草を産し、八大龍王の名に因んで「龍王煙草」と称し産出量も多く、毎年正月七日を期して煙草市を催し繁盛を極めたという。
これが七日市の起源であろう。
一六三二年、市杵島姫命・大己貴命(大黒様)・事代主命(恵比寿様)更に水分神(田の神)・稲荷大明神(五穀豊穣の神)を併せ祀る。市場田鎮座後、他に遷座すること二、三回に及ぶ。場所を変えて江戸時代、貞享五年(一六八八)一月一日、水清き阿木川畔(現大井橋上流)、字市神下に堂宇を再建して境内を整えた。
しかし、度重なる川の洪水で川道が変わって危険となり、明治二十五年(一八九二年)に現在の茶屋町に奉遷された。
七日市由来
明治の初期まで正月七日の例祭に参詣する者は御札(田の神)を迎えると同時に、副団子といって煙草の花をかたどった団子を求めるのが通例であった。これは実に昔の煙草市にちなんだものである。
明治十四年(一八八一年)に「蛭子大神」「大黒天」及び「稲荷大明神」の御神札を頒布した。例大祭には現在に至るも「官許」と大書きした大提灯を灯し、この護神燈のもとに御神札を授与して来た。七日市当日には、参詣者で立錐の余地もなく、街にあふれた。老若男女を問わず参拝して、福寿円満・商売繁盛・農蚕の守護・干魃の雨乞いの神として、庶民の厚い信仰を集め現在に至る。
平成二十年戊子 二月 建之
JR中央本線、恵那駅から徒歩5分。
中山道、江戸から数えて46番目の宿場町、大井宿に鎮座する「市神神社」へ参拝に行ってきました。
鳥居
市神神社、正面の鳥居です。
境内には滑り台やブランコなどの遊具があり、なんだか懐かしさを感じる雰囲気です。
小さな神社ですが地域の方々からの崇敬が厚いようで、毎年一月七日に催される例祭「七日市」には多くの参拝者が訪れるようです。
手水舎
境内に入り、すぐ右手に手水舎・・・?
新型コロナウイルス対策でしょうか、完全に密閉されていました。
拝殿・本殿
岐阜県神社庁公式ホームページによると、社名は「市神社 (いちじんじゃ)」(誤記?)、主祭神は「事代主神(ことしろぬしのかみ」とのこと。
摂末社
拝殿・本殿の左右には摂末社が鎮座しています。
向かって左手のお社には稲荷大明神が祀られています。
右手のお社は不明です。
場所
〒509-7201
岐阜県恵那市大井町600
市神神社