桜天神社
桜天神社 由緒
祭神 菅原道眞公
例大祭 三月二十五日・九月二十五日
織田信秀(信長の父)は菅原道眞公を深く信仰し京都の北野天満宮より、公の神像を勧進して那古野城中に祠を祀った。これを天文七年(一五三八年)現在の地に移した。愛知県下で最も由緒ある天神社で元治。宝暦年間や昭和二十年三月の大空襲など三度の戦火にも御神体は氏子により守られ現在祀られている。
祭神菅原道眞公は代々文章博士をつとめる家に生まれ、十才にしてすべての学問を修め、とくに書道では弘法大師・小野道風・菅原道眞の三人は書道の三聖といわれたことから学問の神様として崇敬されてきた。
市博物館に所蔵されている「名古屋名所図会尾張名所団扇絵」には桜天神社祭礼(三月・九月)の植木市の賑わいの様子が描かれ昭和初期までの繁栄ぶりがしのばれる。現在春秋の大祭には献書会が開かれ学業向上、入試合格祈願の参拝者が多い。
桜天神社の鎮座する地は桜の名所だったことから「櫻天満宮」、「桜天神」と呼ばれるようになりました。
山田天満宮、上野天満宮と並び、名古屋三大天神の一社に数えられる由緒ある神社です。
正面
桜天神社は名古屋の中心部を東西に走る幹線道路、「桜通」に面しています。
高いビルの谷間にあるので初めて訪れる際には通り過ぎがち。
参道入り口の手前にある鐘楼を目印にするとまだ分かりやすいのではないでしょうか。
ちなみにこの鐘楼は明治時代になるまで境内で時を告げていた「時の鐘」を模したもの。
実際の「時の鐘」は高さ約7.5mもあったそうです。
鳥居
細い山道を進むとすぐに朱塗りの鳥居。
狛犬
鳥居の奥に狛犬がいました。
社務所
鳥居をくぐって右手に受付。
御朱印や御守などの授与品もこちらで拝受して頂けます。
願の水の牛
鳥居をくぐってすぐ左手に「願の水の牛」。
歳の数だけ柄杓で水をかけると願いが叶うのだそうです。
それにしても凄い数の柄杓です。
願の水の牛
京都の北野天満宮を参拝した人の言い伝えによると、この牛に自分の歳の数だけ柄杓で水をかけると願がかなうといわれていました。当社でもいつしか牛に水をかけ願をかけるようになりました。又この水で字を書くと上手に書けるとも言われています。
戦後に柄杓の裏に願い事を書くようになり、それを見た参拝者の人たちから「柄杓を授与してほしい」と求める声が多くなり当社でも授与する様になりました。
歳の数え方
当社では水の掛け方にも決まりがありまして十歳まではその歳の数だけ十歳以上は十年を一歳と数えこれに加えます。
(例)五歳は五杯、十五歳は六杯
手水舎
「願の水の牛」の先に手水舎があります。
龍口ではなく、菅原道真公と由縁のある鷽(うそ)。
菅原道真公が蜂に襲われた際に鷽の大群に助けられたなどの伝承が残っています。
撫で牛
こちらも菅原道真公と由縁のある御神牛(臥牛像・撫で牛)。
丑年の生まれで、丑の日に亡くなり、墓所の場所を牛に決めさせたなど、牛にまつわる様々な逸話が残っており、神の使いとして信仰されるようになりました。
自分の体の悪い場所をなでたあと、御神牛の同じ場所をなでると治るといわれています。
コロナ対策で消毒液が置かれているのが優しいですね。
神楽殿
正面からずっと見えていた紅白の梅の紋。
菅原道真公が梅をこよなく愛したことから、神紋に用いられるようになりました。
本殿
神楽殿の前を直角に曲がったところに本殿が鎮座しています。
なかなかの囲まれ感が心地良いです。
信長攻路
本殿の右手前に「信長攻路」がありました。
織田信長公と縁のあるルートの主なスポットに置かれているもので、名古屋市周辺で城や神社仏閣などの名所巡りをしている方にはおなじみのやつです。
なかなか面白い試みで好き。
摂末社
本殿の左手に摂末社。
- 白太夫社
- 金刀比羅社
- 猿田彦社
- 秋葉社
- 少彦名社
- 大黒社
- 蛭子社
御朱印
桜天神社の御朱印を拝受いたしました。
御朱印:300円
場所
〒460-0003
愛知県名古屋市中区錦2丁目4−6
桜天神社
HP:受験祈願・合格祈願に|名古屋市中区にある桜天神社。