妻籠宿
妻籠宿は江戸と京とを結ぶ中山道の、江戸から数えて42番目の宿場町です。
交通の要衝として賑わっていた宿場町で、当時の面影を感じる町並みが残っています。



駐車場
一般車用の駐車場は、北側の「第2駐車場」、南側の「第3駐車場」、そしてその中間に位置する「中央駐車場」の計3箇所です。
いずれも有料で、駐車料金は ¥500(税込)。
領収書兼駐車券に「このお金は、妻籠宿の保存事業のために活用させていただきます。」との記載がありました。
町並みの保全に少しでも貢献できたようで嬉しく思います。
今回は中央駐車場に車を停めて、まずは尾又橋(おまたばし)へ。
尾又橋

尾又橋は蘭川(あららぎがわ)に架かるコンクリート製と木製の二つの橋です。
歩行者用と車両用で別れていて、歩行者は木製の橋を渡るようになっています。


川向うに不思議な施設がみられますが、これは関西電力株式会社の妻籠発電所です。
尾又橋を渡って、真っ直ぐ進むと中山道との丁字路に突き当たります。
ここを向かって左(北)に曲がれば江戸方面「中山道42番目の宿場町 妻籠宿」、今回の目的地へ。
右(南)に曲がれば京方面「中山道43番目の宿場町 馬籠宿」へと続きます。

関西電力株式会社 妻籠発電所

尾又橋を渡る際に見えた妻籠発電所。
せっかくなので近くまで行ってみました。
昭和初期に建設された、レトロな風情のある佇まいが素敵ですね。
景観を損なわないように、周囲は木製の塀で囲われていました。
建物だけではなく、送電塔なども茶色に塗られていて、景観によく馴染んでいます。
おしゃごじさま

妻籠発電所の斜め向かいに祀られている「おしゃごじさま」。
由来書によると・・・
おしゃごじさま
妻籠宿 尾又 おしゃごじさま 由来
御左口(みさぐち)神を祀る。
古代からの土俗信仰の神様で「土地精霊神」「土地丈量神様」「酒神」等の諸説がある謎の神様といわれている。
おしゃごじさまに道中の安全を祈願して歩を進めます。
旧妻籠小学校



妻籠宿から高台へと登った所にある妻籠小学校跡。
木造の校舎や体育館が残っていて、ノスタルジックな気分を味わえます。
個人的には妻籠宿で一二を争うお気に入りの場所。
旧妻籠小学校の正面を横切って、奥へと進んで行くと、和智埜神社(わちのじんじゃ)の鳥居が目に入ります。
和智埜神社の記事は個別に記しています。

和智埜神社の参拝を終えて、少し北側に進み、光徳寺の横を通って中山道に戻ります。
光徳寺の記事はこちらに。

妻籠郵便局 妻籠郵便資料館

妻籠郵便史料館は妻籠郵便局の中に併設されています。
明治四年の新式郵便制度創業時の制服や、郵便関係の史料が展示されています。
歴代の郵便ポストの模型が並んでいて、ちょっと面白かったです。
入館料は無料。
気軽に立ち寄れるのが良いですね。
妻籠宿本陣

「宿駅が制定された際、島崎氏が本陣役に任命され、明治に至るまで本陣、庄屋を兼ね勤めた」そうです。
当時の建屋は明治に入って取り壊されたのですが、平成7年4月、島崎家が所蔵していた江戸後期の絵図をもとに復元されたとのこと。
島崎藤村の母君の生家だそうです。
ちなみに、島崎藤村はお隣の馬籠宿生まれで、生家跡は「藤村記念館」になっています。

妻籠宿脇本陣奥谷・南木曽町博物館

奥谷(おくや)は脇本陣の屋号で、代々、脇本陣を勤めてきたのは林氏とのこと。
現在の建物は明治10年に総檜造りで建て替えられたもので、国の重要文化財に指定されています。
格子窓から入る斜光が囲炉裏の煙を浮き立たせた写真で有名な場所。
なんでも太陽の高さが重要で、きれいに撮影できる時期は秋から春先までとのことです。
今年は新型コロナウイルス感染症対策のため、令和2年9月1日(火)から令和3年3月31日(水)まで撮影禁止になっていますのでご注意ください。
妻籠宿脇本陣奥谷(歴史資料館含む) 入館料
・大人 600円
・小人 300円
妻籠宿本陣との共通券
・大人 700円
・小人 350円
歴史資料館
脇本陣奥谷の建屋を奥に抜けると、これまでの建物と打って変わって、近代建築の歴史資料館へ。
歴史資料館には妻籠宿の成り立ち、木曽の歴史が模型や映像で展示されています。
想像していたよりも、よっぽどしっかりとした資料館でした。
鉄道、道路が新たに造られた明治時代、妻籠宿は宿場町としての機能を失って、衰退の一途をたどりました。
そんな中、妻籠宿は昭和40年代より景観の保全活動に取り組んで、昭和51年、日本初の重要伝統的建造物群保存地区のひとつに選ばれました。
それからおよそ半世紀、妻籠の人たちは今でも町並みを守り続けています。